文章表現の授業です

専門学校や大学で担当している「国語表現法」「日本語表現」などといった授業の覚え書き

メールの書き方1 考え方

なぜわざわざメールの書き方を学ぶのか

大学の文章表現の授業でメールの書き方を取り上げると言うと、わざわざ教えるようなものではないだろうという反応が返ってくるのですが、そういう人は今の若い人の状況を知らないのだと思います。ついこの前まで高校生だった新1年生に尋ねますと、メールを日常的に書く学生は、ほぼいないのがわかるでしょう。

私がここ数年、毎年複数の非常勤先で尋ね続けた範囲では、今の若い人は友人同士でメールのやりとりをすることはほぼないようです。「メール、使ってます」と答えた学生に、どういうときに書くのか尋ねてみると、LINEを使っていない祖父とのやりとりにということでした。その他、若い人たちが接するメールと言えば、ネットショップで買い物をしたあと届くようになった広告のメール、ファンクラブやサークルのメーリングリスト、というあたりがせいぜいです。スマホのメールを使ったことがないという学生さんも珍しくはありません。

大学では各科目の担当講師とのやりとり、ゼミの先生とのやりとり、就職活動……とメールを使うことがよくあります。特に遠隔授業が行われている今年はメールが書けるというのは必須のスキルです。新1年生対象にメールの書き方を教えるのはごく当然のことなのです。

メールの書き方に唯一の正解はない

メールの書き方が悩ましいのは、それがやりとりされる場や個人によって、かなり幅があるからです。要件だけの素っ気ないメールをやりとりする研究室や、ほとんど手紙ではないかという丁寧さのメールをやりとりする業界があります。こう書くと間違いないという唯一の型はありません。

手紙なら、長い伝統に支えられた型があります。江戸時代、寺子屋では必ず手紙の書き方を学びました。手紙の書き方の本で古いものは平安時代にまで遡るそうです。手紙の場合、こういった時代の波に洗われた型に自分の要件を当てはめて書いていけば、なんとか形になります。しかし、メールの型はそこまでしっかりしたものではありません。

メールの書き方についての考え方1 早さ

こう書けばいいという唯一の型がないメールですが、どんな業界や分野や個人にも共通する点はあるはずです。その一つは、早さではないでしょうか。

いくら早くても翌日に届く手紙は、ゆっくりと流れる時間を楽しむコミュニケーションです。送る相手を想って便箋や切手を選ぶ楽しみもあるでしょう。それに対してメールは一瞬で届きます。このスピードが、手紙とメールの違いでしょう。

とすれば、メールの書き方の方針として、拝啓・敬具といった頭語・結語や、季節の挨拶などはなくてもよさそうです。

メールの書き方についての考え方2 1通でわかる

LINEなどのチャット型のアプリは、一言ずつのやりとりが基本です。メールも同様の使い方をすることができますが、すべてのやりとりが一覧で表示されるわけではないので、使いづらいです。
したがって、メールは1通でほとんどのことがわかるように書くのがよさそうです。

 

次回は以上の2つの考え方を元に、メールの書き方の実例を挙げて説明していきましょう。

 

これもメール関係。

masudanoriko.hatenablog.com

 

masudanoriko.hatenablog.com

説明書き・注意書きの位置

説明書きや注意書きは、何を書いているのかと同じくらい、どこに書いてあるかがわかりやすさを左右すると思います。

 

数年前、セブンカフェのデザインがわかりにくいということが話題になりました。デザインがあまりにもスタイリッシュすぎて、店員に問い合わせが殺到、英語表記しかなかったマシンに日本語のテプラが貼りまくられたというのです。

 

www.google.com

しかし私は、このマシンよりも、そもそものカップの買い方や料金の支払い方がわからず戸惑いました。それについて書かれたパネルは、私が利用した店では頭上に吊ってあったのです。

 

頭上ではなく足元の表示も見落としやすいものではないかと思います。駅のホームでは床に特急などの電車の種類や女性専用車両のドアの位置を表示しています。自分から乗車位置を探す場合は足元を見ますが、そうでないときは足元はあまり見ていません。男性が気づかずに女性専用車両に乗ってしまうことがあります。女性専用車両に乗ろうと思っている女性なら足元のサインを探しますが、男性はそういうことはないからでしょう。

 

よく行く場所に分別がわかりにくいゴミ箱がありました。「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」とゴミ箱の胴の部分に書いてあるのですが、小さいのでかがまないと見えません。そのためか、分別を間違ったゴミが入っていることがよくありました。最近、それぞれのゴミ箱の上方に「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」の貼り紙がされていて、わかりやすくなりました。

 

せっかくわかりやすく書かれた説明書きや注意書きも、その存在に気づいてもらわなかったら意味がありません。説明書き・注意書きはどこに貼るのか、その位置も重要です。

 

 

ブルーバックスのロングセラー藤沢晃治『「分かりやすい表現』の技術』にはわかりにくい標識や看板とその改善案が載っていて参考になります。新版が出ていました。

 

横書きで注意すること

 大学でレポートを書くとき、仕事の書類を作成するとき、横書きにすることがほとんどです。メールやブログも一般的には横書きで表示されています。

 しかし、高校までの作文では縦書きで書くことが多いようです。そのため、入学して間もない大学生は横書きで文章を書くのに慣れていません。慣れていないのにも関わらず、日本語を横書きで書くための決まりについて取りあげている文章表現の本はあまりありません。縦の物を横にするだけの簡単な作業だと思われているのでしょうか。

 

 日本語を横書きで書くときに問題となるのは句読点、カギ括弧、数字です。

 横書きに書かれた日本語の句読点については、英語のコンマとピリオド( , .)、英語のコンマと縦書きの読点( ,  。)、縦書きの句読点( 、。)の3通りが見られます。どの組み合わせを使うべきか、国による書類では、文部省教科書局調査課国語調査室『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案』(昭和21年)、『国語の書き表わし方』の付録『横書きの場合の書き方』(昭和25年)など、すべてピリオドと句点の組み合わせ( ,。)になっています。

 読点の代わりにコンマを使ったら、横書きであっても日本語だから読点を使うべきだと注意された話を聞いたことがありますが、国としてはコンマと句点の組み合わせを使うのを規範としているわけです。

 では、横書きでは3通りのどの組み合わせの句読点を使えばいいのでしょうか。個人的な書き物ではもちろん好きにすればいいと思いますが、人に読んでもらうもの、例えば大学のレポートは、理系はコンマとピリオドを使うことが多いなど、その分野の習慣に従えばよいでしょう。

 括弧については、日本語の句読点をそのまま使う場合は括弧もそのまま(「」『』)、コンマとピリオドを使う場合は英語の引用符( “ ” )を使えばいいでしょう。

 次に数字についてですが、横書きでは基本的に算用数字(アラビア数字)を使いましょう。パソコンを使って書く場合、そのままだと半角設定(1マスに2文字)になっていることがほとんどです。桁数が多いと全角(1マスに1文字)だと間延びして見えますが、これも読んでもらう人や提出先に合わせるとよいでしょう。

 ただ、決まった言いまわしに出てくる数字は漢数字にします。

患者さんと二人三脚で頑張ります。

この段階ではプロジェクトは五里霧中だった。

こういった場合、「2人3脚」「5里霧中」と書くと、まるで「3人4脚」や「10里霧中」があるかのようで、おかしいことになります。算用数字で書き表すとデータとしてとらえてしまうからでしょう。

 算用数字で書くか、漢数字で書くかが微妙な場合もあります。

第二次世界大戦 第2次世界大戦

一人で暮らしている 1人で暮らしている

 「第二次世界大戦」のような歴史的な出来事は漢数字で書くことが多いようです。算用数字で書くと「第n次世界大戦」、つまり「第3次世界大戦」「第10次世界大戦」……があるかのような印象を与えてしまいます。

 「一人」はデータとしての1、つまり2や10に置き換わる可能性がある文脈では算用数字の1が適しているでしょう。

 こうした意味のある書き分け以外では、算用数字に統一して、1つの文章の中に漢数字と算用数字が混在するのを避けるようにしましょう。

 

【参考

横書き句読点の謎 渡部 善隆

http://ri2t.kyushu-u.ac.jp/~watanabe/RESERCH/MANUSCRIPT/OTHERS/YOKO/ten.pdf

 

尾名池誠『横書き登場―日本語表記の近代』岩波新書岩波書店、2003

 

 

自己紹介を作る

 新年度が始まって自己紹介をする機会も多いことと思います。文章表現の課題でも自己紹介はよく取りあげられます。自己紹介の文章を書くことは、プロフィールや自己アピール文を書くウォーミングアップにもなります。

masudanoriko.hatenablog.com

 どのような自己紹介がいいのかというと、正しい一つの答があるわけではありません。自己紹介をする場によって、ふさわしいものは違ってくるからです。あまり自分のことは話さず控えめにしている方がいいこともあるし、相手との距離を一気に縮めに行くのがいいこともあります。すべての文章に共通することですが、聞く人・読む人の立場になって、何が求められているかを判断しなければならないのが、難しいところです。

 しかし、どんな場面でも、自己紹介に必ず必要なものというのは共通しています。自己紹介を何のためにするのかというと、大きく2つの理由があると考えられます。

  1. 自分の情報を相手に伝えるため
  2. 相手とこれから人間関係を築いていくため

 1.で最も重要なのは名前でしょう。どんなにうまい自己紹介でも、名前を覚えてもらえなかったら意味がありません。名前こそ、自己紹介に最も必要な情報です。フルネームでしっかり伝えましょう。口頭で自己紹介するときは、少し話すスピードを落として聞き取ってもらいやすくしましょう。

 確実に名前を覚えてもらうために、間違えやすい漢字や読みにくい名前は説明しておきましょう。また、外国にルーツのある名前の場合、何と呼んでほしいかも指定しておきましょう。日本語で発音しやすいか、おかしな意味の言葉に聞こえてしまわないかをあらかじめチェックしておくのは、トラブルを避けるためにも必要なことと思われます。

 2.では、自分についての情報をとりあげますが、その場にふさわしく、相手が自分と繋がるきっかけになるような情報にしましょう。自分という人間を構成しているさまざまな要素を書き出してみて、自己紹介に最適なものを選んでください(自己紹介は自分を見つめ直す作業でもあります)。

 例えば、旅先の広島で出会った人に自己紹介するときに、「熱烈な阪神ファンです」と言うのはちょっとリスクがありそうですし(広島カープの本拠地ですから……)、年配の方たちに自己紹介するとき、いま夢中だったとしても話題を最新のゲームにすると、話しかけてもらえるきっかけが少なくなってしまいそうです。改まった場からカジュアルな場まで、何通りかの自己紹介ができるようにしておくといいですね。

 この自分の情報をどの程度伝えるかですが、字数が決まっている場合、目一杯使うことで熱意を表現できます。また、最近はバラバラの情報をたくさん伝えるより、1つのことで印象づける傾向があります。例えば「堺出身です。高校は陸上部でした。今もマラソンしてます」よりは、「堺出身です。高校は陸上部で、マラソンが好きです。休みの日は仁徳天皇陵の周りをよく走っています」などと、ひとかたまりのイメージにすると「あの堺の人か……」と覚えてもらいやすいです。

 自己紹介で自分の情報の中で最も重要な名前、そして仲良くなるきっかけとなる情報を少なくとも1つ伝えたら、これからのよい人間関係のために、「よろしくね」などと、最後は挨拶で締めくくるといいですね。 

表現面の採点基準案

レポートや試験の文章を採点する際、表現面については基準を定めるのが困難である。構成や論理の流れ、引用のマナーを守っているかどうかなどは、数人で採点してもぶれが少なく比較的問題なく進むが、表現については個人の好みが介入しやすいからだ。

私の基本的な方針は以下の通り。

  1. 2重に減点しない。例:段落分けをしていない文章については、段落分けの項目で減点し、長すぎる文という項目では減点しない。
  2. 同じ理由で複数回減点しない。例:同じ漢字を複数回書き間違えている場合、減点は1回。
  3. 迷うときは減点しない。ただし、減点しなかった基準をそのつど記録して、すべての答案がそれに当てはまるようにする。
  4. 減点理由の基準は公的なものから採る。

4について、使っている資料をまとめておく。

 

【誤字について】

平仮名や片仮名の誤字は非常に少ないのでここでは漢字の誤字について取り上げる。

まず、筆写の字体を誤って減点しないようにする。例:元号が「令和」に決定したことが発表されたとき、「令」の字体が2通りあることが話題になった。常用漢字表には筆写の楷書の字体として「マ」のように書く字体も掲載されており、どちらも正しい。

常用漢字表

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf

「手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針(仮称)(案)

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/shoiinkai/iinkai_21/pdf/shiryo_3.pdf

 

また、これは意見が分かれるところであるが、異体字もできるだけ減点しない。略字・俗字と呼ばれるものも、すべて異体字として捉える。あえて異体字を書いているのではなく、誤字が偶然異体字であったというケースが多いと推測するが、基準として、『大漢和辞典』に掲載されていれば減点はしない。

 

ごく稀に旧字体で書かれているものがあるが、もちろん減点しない。ただし、旧字体新字体が混在していれば、表記の不統一という点について減点する。

 

答案は楷書で書くというのは注意書きがなくても守るべきことだと考えているが、行書や草書でも減点しない(隷書や篆書の答案を見たことはまだない)。『五體字類』や書道辞典類にない独自の崩し方で、読解不能なものは誤字とみなす。

 

【漢字使用率について】

誤字での減点を防ぐためか、仮名が目立つ文章がある。漢字使用率は3割が一番読みやすいといわれている。漢字を使いすぎて減点することはないが、あまりにも仮名が多いと減点することはある。

もし漢字使用率が低いと言うことで減点するならば、使用率が何%以下なら減点するという基準を設けなければならない。使用率は

http://akind.dee.cc/kanjiritsuchk-input.html 

で調べることができる。

個別の語について漢字で書くか仮名で書くかに関しては、常用漢字表の別紙に

公⽤⽂における漢字使⽤等について

があるが、実際の出版物では副詞は必ず平仮名で記されるなど、より多くの語が平仮名に開かれているという印象があり、

ちょっとひらがなに直すだけで、文章はこんなにプロっぽくなる | ハフポスト

が非常に参考になる。

 

もし漢字を使っていないことで減点するならば、たとえば小中学校で学ぶ漢字かどうかが判断基準になるであろう。その場合も、現在平仮名で書くことが多い副詞は減点しないなど、品詞についても基準を決める必要がある。一つ一つの漢字についていつ学ぶかは

学年別漢字配当表 

別表 学年別漢字配当表:文部科学省

でチェックできる。

 

ただ、改定常用漢字表には、「改定常用漢字表の性格」(1)基本的な性格 に

なお、情報機器の使用が一般化,日常化している現在の文字生活の実態を踏まえるならば,漢字表に掲げるすべての漢字を手書きできる必要はなく,また,それを求めるものでもない。

と記されていることからも、漢字表記でないからといって減点するのは難しいと考える。少なくとも改定常用漢字表で増えた191字に関しては、減点しないのが妥当であろう。

文化庁広報誌にも、常用漢字表について

「常用漢字表」を知っていますか。―「常用漢字表」シリーズ①― - 言葉のQ&A - 文化庁広報誌 ぶんかる

高校を卒業するまでには,2,136字の全てが読め,小中学校で書けるようになった1,006字以外の主な常用漢字も書けるようになります。

とあり、高校卒業までに小中学校で学ぶ漢字は「書ける」とするものの、常用漢字すべてについては「読め」るとしか記されていない。

 

【言葉の意味】

変化している言葉の意味や文法については、国語辞典に掲載されていないから減点するというのでは現状に合わない場合がある。このような場合は、

国語に関する世論調査 | 文化庁

を用いる。たとえば「六つの表現の認知と使用,慣用句等の意味・言い方」(平成30年度)に掲載されている語で、50%以上が使用している場合は減点しないなどといった基準を設けることが考えられる。国語に関する世論調査 | 文化庁 については

ことば食堂へようこそ! | 文化庁

という動画もある。ただ、該当する語句を探すのが大変で、索引がほしいです。もしあればぜひお知らせ下さい。

 

*ここで取り上げたサイトのほとんどは、

後期第10回 文章を書くのに便利なサイト - 文章表現の授業です

でも紹介しています。

 

 

 

 

文章のバリアフリー

 同じような文章を読んでいても、目が文字の上を滑っていくようでなかなか理解できないときがある。疲れていたり、体調が悪かったり、心配事を抱えていたりするときは、そのような状態になりやすい。

 年老いた親の付き添いで大きな病院に行ったとき、文章にもバリアフリーが必要だと思った。まず検査について書かれた書類を渡される。ただでさえ老眼で文字が読みにくいのに、フォントも小さくレイアウトにも工夫がない。パラグラフとトピックセンテンスの概念がなく、隅々まで注意深く読まないと大切なことを見落としそうだ。しかし専門用語の連続でよくわからない……。採血や検査の部屋に移動するのは案内板が頼りだが、矢印の通りに進んでいるつもりが辿りつかない。頼りの案内板も、動線を考えず、ただ設置しやすい所に設置されているだけのように思われる。

 病院で患者が目にする文章が、健康な私にもわかりにくいものであってよいのだろうか。病院はふつう、病気の心配で頭がいっぱいの人が来るところである。冷静でない人が読む文章なのである。およそこの世で最もわかりやすい文章を書かなければいけない場所だろう。

 鈴木大介氏の『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』は、41才で脳梗塞を患い、高次脳機能障害病気になった著者によって、高次脳機能障害とはどのような状態なのか、当事者の立場から詳細に記された書であるが、「健常者相手では丁寧な依頼ということになるのかもしれない」が、パニックを起こしてしまうものとして次の会話が記されている。

「鈴木さんBパートお願いしていいですか? というのも、BパートというのはCパートのひとと集合場所は同じでプリントにあるXポイントなんですけど、例年では一度Aパートを経験している方が担当することになっていて、ただ今年は参加人数も少ないので申し訳ないけれど初参加の方にもBパートとCパートをお願いすることになっていて、鈴木さんも初参加ですけど一応去年は見学されていますし、お願いしたいかなと思いまして……」

 このような言いまわしをされた筆者がどのようにパニックに陥っていくのかは、本書に詳細な記述があるのでそちらをご覧頂きたい。筆者は「鈴木さんの担当はBパートで集合場所はX、仕事はこれ」と言ってほしいという。筆者の言うように簡潔な表現を望むのは、高次脳機能障害に苦しむ人に限らないのではないか。

 わかりやすい文章を書くということは、読む人に対する心遣いでもある。引用文のような言いまわしも、丁寧さで相手に対する心遣いを示す文化の1つかも知れないが、丁寧さは話し言葉の場合は口調や表情でも表現できるし、書き言葉ならどんな紙にどんな文字で書くかでも表現できる。文章のバリアフリーが進めば、住みやすい世の中になるだけでなく、社会が効率化して生産性も上がることだろう。

公平に長文を採点するには

   長文の採点は骨の折れる仕事だ。レポートなど長文の採点を(真剣に)したことがある人ならその大変さがわかると思うのだが、経験のない人にはあまりわかってもらえない。大変さのほんの一端を紹介しよう。

   例えば600字の意見文では、私の場合1枚あたり5、6分はかかる(大きな問題のある答案が出てこなかった場合)。私は複数のスタッフで答案の採点作業をするという仕事をしたことがあるが、これでも早い方だったと思う。

   採点の前には採点基準というものを作っておく。採点基準についてはこのブログですでに書いたことがあるので、興味のある方は読んでほしい。採点基準がないと作業中にブレて不公平になってしまうし、第一能率よく作業できない。この基準は何にでも使えるざっくりしたものを用意しておいて、問題に合わせて答案を予想しアレンジする。そのあと実際に答案から無作為にいくつか選んで読んで、細かい基準を作り込んでいく。

   そこまでちゃんとした基準があるならサクサク進むだろうという考えは甘い。どう頑張って基準を作っても当てはまらないものは出てくる。そこでその答案を救うため基準を作り直すことになるのだが、その際はそれまで採点したすべての答案について見直して、当てはまるかどうか確認し、当てはまれば採点のし直しをしなければならないのだ。

   そういう手間をかけないためには、どんな答案が出てきても採点基準を変えないか、その1枚だけ例外にしてそれまで採点したものの見直しをしないか、そのどちらかしかないが、まともな採点者ならそのどちらも選べないだろう。

   非常にシンプルな例を1つ挙げる。長すぎる文は減点対象だったとしよう。「長すぎる」というのは厳密でないので300字以上の文に句点がなければ対象とする。ところが400字を超えるのに主語と述語の捩れなどなく、副詞の対応も流れてしまわず、これは現代の西鶴野坂昭如か、ダラダラ続くかに見えて無駄な表現はなく文意ははっきり読み取れる、そういう答案が現れたりするのである。

   こういうとき良心のある者なら「長すぎる文、300字を超える文は減点対象とするが、文意が読み取れるものは例外」というルールを作るしかない。良心がなくても、いまどきは点数についての異議申し立てが来るから減点対象から外すしかない。

   さて、ここで例外を作ったからには、これまでの答案も見直すべきだ。これまでの答案は「例外を作らねば」という気持ちを起こさせるものがなかったから見直さないでいいと考えるのは、学問的ではない。長すぎる文のはずなのになぜ文意が通るのか、その理由を明確にして、その理由に当てはまる答案は同様に採点しなければならない。印象で採点してはいけないのである。

   不公平な採点にならないためには、このように実際の答案を前にして細かい調整を何度も何度も繰り返すことになる。前述したのは非常にシンプルな例なので、実際はもっと煩雑である。

   同じ問題の答案を複数人で採点する場合、公平性を保つのはもっと難しい。一人で採点していても、作業の初めと終わり、疲れ具合などで採点基準の解釈に幅ができる。私はそれを防ぐために最初に一気に10枚ごとに採点しておいて、途中でズレないようにしている。細かい採点基準を作っておいて一人で採点していてもズレるのだから、複数人の採点でズレないなど有り得ない。私が採点の仕事をしていたときは例外や調整する必要が出たときは全員に知らせて見直していたが、それができるのはある程度までの規模に限られると思う。

   そういうわけで長文の採点というのは公平性を保つことが非常に難しい。答案が多いほど、採点する人数が多いほど、公平性を保つことは難しい。大学のレポートなどではきちんと採点できているのかどうか異議申し立てができるし、そのような場合私は採点基準も公開する。私の知る限りの大学教員は良心的に採点している。

   しかし、世の中にはそうでない採点者もいるかもしれないし、末端の採点者が例外に当たると判断しても対応ができない体制になっているケースもあるかもしれない。そういうとき公平に採点してもらう方法は1つしかない。詳細な採点基準と自分の答案がどう採点されたかが公開され、納得できないときに異議申し立てができるシステムである。

   大量の長文の答案を多人数で採点するということが、例えば人生をある程度決定する入試で行われていたら最悪である。納得できない場合、受験生や関係者の皆さんには徹底的に異議申し立てをして戦ってほしいのである。