文章表現の授業です

専門学校や大学で担当している「国語表現法」「日本語表現」などといった授業の覚え書き

なぜレポートの課題があるのか

レポートの書き方の参考文献は何がお勧めですかと言われたら、私も戸田山和久氏の『論文の教室』をお勧めします。新版が出てますね。いいなあ、あやかりたい。

 あやかりたいので文体をちょっと寄せて書いてみました。では、どうぞ。

 

 

 教員だってラクじゃない


 レポートの課題が出されて憂鬱なキミに一つだけ知っておいてほしいことがある。レポートというのは、担当教員にとっても負担が大きい存在だということだ。
 たとえば授業内でレポートを課題にすると、当たり前のことだけど添削に時間がかかる。授業時間と同じくらいの時間を毎回添削に費やしたり、休日は添削に追われたりする。
 単位認定を試験ではなくレポートで行うことにすると、試験よりも採点に時間がかかる。時間のことを考えると、選択式の記号問題にするのが一番ラクだ。おまけにレポートは採点の仕方がわかりにくい。時間をかけて採点したあげく学生さんから評価に異議申し立てなどされた場合は、時間的にも精神的にも消耗する。
 そういうリスクを避け手間をできるだけ省こうとするなら、レポートなんて書かせないに限る。学生さんもラクだって喜んでくれるし、添削に追われることもなくなるだろう。
 なんでそうしないかって? それはひとえに学生の皆さんに対する愛! 大学生なんだもの、レポートくらい、まともに書けるようになってほしいという、愛なんですよ!!

 

 楽勝科目には怒るべき

しかしレポートを課す教員の中には、ごく希に(だと、思いたい。同業者としては)だけど、提出さえすれば単位を出す教員がいる。参考文献の丸写しやネットからのコピペでも、見た目だけはレポートの形になっていれば大丈夫。書いているうちに自分でも何のことかわからなくなってるんじゃないかという支離滅裂なものでも、コピペじゃなくて自分の言葉だから偉い偉いと褒めてくれる。単位を取ったキミは「なーんだ、レポートって楽勝だったなー」という感想を持つだろう。
 喜んでいる場合ではないのである!
 そんな、レポートとも言えない代物にあっさり単位を出すということは、その教員がまったくやる気がないか、有り得ないほど低い能力の持ち主かのどちらかである。つまりキミは、大学に授業料を支払っているにも関わらず、真っ当な教育を受けていないということだ。
 もしかしたら、別にそれでもいい、授業料を払って単位を金で買っているのだという人もいるかもしれない。そういう人は楽勝科目ばかりを器用に選んで、最小の勉学で大卒の肩書きを手にすることに価値を見出すのだろう。
 いまどき文章を書くリテラシーを身に付けていない大卒がどれほど危なっかしいものか想像するだに恐ろしいんだけど、まあそういう人は今この文章を読んでいないだろう。
 そういう人にはこの声は届かないと思うけど、楽勝科目には「なんかこれおかしくないか?」「こんな風に甘やかされててレポートが書けないままだとヤバイんじゃないか?」と思ってほしい。

 

 コピペはバレている

レポートの書き方がわからない学生さんがやりがちなのが、インターネット上の記事のコピーアンドペースト、略してコピペである。昔から参考文献の丸写しっていうレポートはあるけど、手軽さの点で勝っているからだろう、最近は圧倒的にこのコピペってやつが多い。
 コピペをしてもバレないと思っている学生さんがいる。参考文献はともかく、ネットの記事なんかセンセイは知らないだろうと思っているのだ。
 んなこたあ、まず有り得ない。今の五十代以下で大学の教員にでもなるようなのは、同じ世代の中でも日常的にパソコンを使ってきた人間がほとんどだ。2ちゃんねるの誕生に立ち会い、タグを打ちながらホームページを作り、グーグルがない時代によろずのことを検索していたのである。専門関係のサイトは当然巡回している。キミがコピペしたWIkipediaの記事だって、書いたのは実は授業を担当した教員かもしれない。
 まあ何事も例外はあるからパソコン音痴の先生もいるけれど、たいていの場合、キミがふつうのキーワードで検索して辿り着く記事くらい、我々はすべて押さえていると考えてもらった方がいい。もちろんエゴサーチもしている。某大学で私が「フェアリー」と呼ばれてることだって知ってるからな!

 

 アレンジしてもバレている

単純なコピペではなく、コピーした記事をアレンジしているレポートもある。二つ以上の記事を合体させたり、文体を変えたりしているのである。こういうタイプもバレているのは言うまでもない。
 友人同士で一つのレポートをアレンジして使い回すというパターンもある。参考文献やネットで引っかかってこないからバレないと思っているのかもしれないが、甘い。
 そもそも大学の教員は研究者でもあるっていうことを忘れてもらっては困る。文章にはリズムというものがあって一旦完成した文章を素人がアレンジすれば必ず不協和音が出る。我々は、その気になればキミたち素人のアレンジしたレポートを分類して、たちどころに系統図を作ることだってできるのだ。

 

 書く技術を身に付けよう

レポートを書く技術が必要になるのは、なにも単位を取るためだけではない。ちゃんとしたレポートが書けるってことはつまり、ある程度の長さのまとまった文章、説明文や意見文や報告書といったものが書けるっていうことだ。
 文章を書く技術は、ある時はキミの人生を豊かにしてくれるし、またある時はキミを守ってくれるだろう。
 インターネットの登場で、プロではない人たちが文章を発表する機会は格段に多くなった。個人でSNSやブログを書いたり、クラブや趣味のサークルでサイトを運営したりすることはもはやふつうのことだ。ネット上にアップされた文章は、閲覧制限をしない限り全世界の人が閲覧できる。文章を書く技術が身に付いていれば、筆一本(ではなくキーボードか)でキミの世界は大きく広がるのだ。
 反対に、ちゃんとした文章を書けないと損をする。例えば仕事をしていて業務の記録や報告書などの文章はさっさと書けるに越したことはない。それにいまどきは、いったん職場で問題が起きれば、情報開示の流れを受けてキミの書いた書類が表に出ることがある。ここできっちりした文章の書き方ができていないと、不利な状況に陥ったり、場合によっては損害を被るかもしれない。
 だからこそ、大学生の今のうちに、レポートの書き方、ものを書いて発信する技術を、身につけるべきなのだ。誤解されないわかりやすい文章を書く技術は、これからの人生でキミの身を守り、チャンスを引き寄せるツールになるだろう。