文章表現の授業です

専門学校や大学で担当している「国語表現法」「日本語表現」などといった授業の覚え書き

文章のバリアフリー

 同じような文章を読んでいても、目が文字の上を滑っていくようでなかなか理解できないときがある。疲れていたり、体調が悪かったり、心配事を抱えていたりするときは、そのような状態になりやすい。

 年老いた親の付き添いで大きな病院に行ったとき、文章にもバリアフリーが必要だと思った。まず検査について書かれた書類を渡される。ただでさえ老眼で文字が読みにくいのに、フォントも小さくレイアウトにも工夫がない。パラグラフとトピックセンテンスの概念がなく、隅々まで注意深く読まないと大切なことを見落としそうだ。しかし専門用語の連続でよくわからない……。採血や検査の部屋に移動するのは案内板が頼りだが、矢印の通りに進んでいるつもりが辿りつかない。頼りの案内板も、動線を考えず、ただ設置しやすい所に設置されているだけのように思われる。

 病院で患者が目にする文章が、健康な私にもわかりにくいものであってよいのだろうか。病院はふつう、病気の心配で頭がいっぱいの人が来るところである。冷静でない人が読む文章なのである。およそこの世で最もわかりやすい文章を書かなければいけない場所だろう。

 鈴木大介氏の『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』は、41才で脳梗塞を患い、高次脳機能障害病気になった著者によって、高次脳機能障害とはどのような状態なのか、当事者の立場から詳細に記された書であるが、「健常者相手では丁寧な依頼ということになるのかもしれない」が、パニックを起こしてしまうものとして次の会話が記されている。

「鈴木さんBパートお願いしていいですか? というのも、BパートというのはCパートのひとと集合場所は同じでプリントにあるXポイントなんですけど、例年では一度Aパートを経験している方が担当することになっていて、ただ今年は参加人数も少ないので申し訳ないけれど初参加の方にもBパートとCパートをお願いすることになっていて、鈴木さんも初参加ですけど一応去年は見学されていますし、お願いしたいかなと思いまして……」

 このような言いまわしをされた筆者がどのようにパニックに陥っていくのかは、本書に詳細な記述があるのでそちらをご覧頂きたい。筆者は「鈴木さんの担当はBパートで集合場所はX、仕事はこれ」と言ってほしいという。筆者の言うように簡潔な表現を望むのは、高次脳機能障害に苦しむ人に限らないのではないか。

 わかりやすい文章を書くということは、読む人に対する心遣いでもある。引用文のような言いまわしも、丁寧さで相手に対する心遣いを示す文化の1つかも知れないが、丁寧さは話し言葉の場合は口調や表情でも表現できるし、書き言葉ならどんな紙にどんな文字で書くかでも表現できる。文章のバリアフリーが進めば、住みやすい世の中になるだけでなく、社会が効率化して生産性も上がることだろう。