文章表現の授業です

専門学校や大学で担当している「国語表現法」「日本語表現」などといった授業の覚え書き

公平に長文を採点するには

   長文の採点は骨の折れる仕事だ。レポートなど長文の採点を(真剣に)したことがある人ならその大変さがわかると思うのだが、経験のない人にはあまりわかってもらえない。大変さのほんの一端を紹介しよう。

   例えば600字の意見文では、私の場合1枚あたり5、6分はかかる(大きな問題のある答案が出てこなかった場合)。私は複数のスタッフで答案の採点作業をするという仕事をしたことがあるが、これでも早い方だったと思う。

   採点の前には採点基準というものを作っておく。採点基準についてはこのブログですでに書いたことがあるので、興味のある方は読んでほしい。採点基準がないと作業中にブレて不公平になってしまうし、第一能率よく作業できない。この基準は何にでも使えるざっくりしたものを用意しておいて、問題に合わせて答案を予想しアレンジする。そのあと実際に答案から無作為にいくつか選んで読んで、細かい基準を作り込んでいく。

   そこまでちゃんとした基準があるならサクサク進むだろうという考えは甘い。どう頑張って基準を作っても当てはまらないものは出てくる。そこでその答案を救うため基準を作り直すことになるのだが、その際はそれまで採点したすべての答案について見直して、当てはまるかどうか確認し、当てはまれば採点のし直しをしなければならないのだ。

   そういう手間をかけないためには、どんな答案が出てきても採点基準を変えないか、その1枚だけ例外にしてそれまで採点したものの見直しをしないか、そのどちらかしかないが、まともな採点者ならそのどちらも選べないだろう。

   非常にシンプルな例を1つ挙げる。長すぎる文は減点対象だったとしよう。「長すぎる」というのは厳密でないので300字以上の文に句点がなければ対象とする。ところが400字を超えるのに主語と述語の捩れなどなく、副詞の対応も流れてしまわず、これは現代の西鶴野坂昭如か、ダラダラ続くかに見えて無駄な表現はなく文意ははっきり読み取れる、そういう答案が現れたりするのである。

   こういうとき良心のある者なら「長すぎる文、300字を超える文は減点対象とするが、文意が読み取れるものは例外」というルールを作るしかない。良心がなくても、いまどきは点数についての異議申し立てが来るから減点対象から外すしかない。

   さて、ここで例外を作ったからには、これまでの答案も見直すべきだ。これまでの答案は「例外を作らねば」という気持ちを起こさせるものがなかったから見直さないでいいと考えるのは、学問的ではない。長すぎる文のはずなのになぜ文意が通るのか、その理由を明確にして、その理由に当てはまる答案は同様に採点しなければならない。印象で採点してはいけないのである。

   不公平な採点にならないためには、このように実際の答案を前にして細かい調整を何度も何度も繰り返すことになる。前述したのは非常にシンプルな例なので、実際はもっと煩雑である。

   同じ問題の答案を複数人で採点する場合、公平性を保つのはもっと難しい。一人で採点していても、作業の初めと終わり、疲れ具合などで採点基準の解釈に幅ができる。私はそれを防ぐために最初に一気に10枚ごとに採点しておいて、途中でズレないようにしている。細かい採点基準を作っておいて一人で採点していてもズレるのだから、複数人の採点でズレないなど有り得ない。私が採点の仕事をしていたときは例外や調整する必要が出たときは全員に知らせて見直していたが、それができるのはある程度までの規模に限られると思う。

   そういうわけで長文の採点というのは公平性を保つことが非常に難しい。答案が多いほど、採点する人数が多いほど、公平性を保つことは難しい。大学のレポートなどではきちんと採点できているのかどうか異議申し立てができるし、そのような場合私は採点基準も公開する。私の知る限りの大学教員は良心的に採点している。

   しかし、世の中にはそうでない採点者もいるかもしれないし、末端の採点者が例外に当たると判断しても対応ができない体制になっているケースもあるかもしれない。そういうとき公平に採点してもらう方法は1つしかない。詳細な採点基準と自分の答案がどう採点されたかが公開され、納得できないときに異議申し立てができるシステムである。

   大量の長文の答案を多人数で採点するということが、例えば人生をある程度決定する入試で行われていたら最悪である。納得できない場合、受験生や関係者の皆さんには徹底的に異議申し立てをして戦ってほしいのである。