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文章表現の授業です

専門学校や大学で担当している「国語表現法」「日本語表現」などといった授業の覚え書き

第12回 映像を記録・説明する

絵葉書や写真を使って状況を説明するという課題の他に、映像を見て状況を説明するということも取り上げます。映像の場合も絵葉書や写真と同様に、できるだけ具体的に説明し、「事実」と「意見」を区別することを練習します。

この課題は1セット10分くらいで済むので、長文を書くようなちょっとヘビーな課題の合間に取り入れるといいと思います。授業は2つのグループに分かれて行います。1つのグループに映像を見ながら他方のグループにその内容を説明してもらいます。その後全員で映像を見て、ちゃんと伝わったかどうか確認します。

この授業で何が大変かというと、ちょうどよい動画を探すことです。「事実」と「意見」の区別に役立つようなものが適しています。たとえば少し前に話題になった、Crow rescue(溺れているカラスを助けるクマ)は授業の目的にぴったりでした。

クマがおぼれたカラスを食べちゃうかと思いきや華麗に救出 一方で状況が飲み込めないカラス - ねとらぼ ねとらぼ にも取り上げられました。

Crow rescue - YouTube 元のサイト

溺れているカラスを助けるクマ - YouTube 日本語のコメントが見られます。

 

この映像を見ていない人にもわかるように説明する場合、「事実」と「意見」を区別して説明することを意識していれば、

クマがカラスの右の翼をくわえて引き上げた。

でいいはずです。しかし、多くの人はこの映像を見て

クマがカラスを助けた。

と説明します。youtubeにも感動のコメントがたくさんついています。

ここで、「事実」と「意見」を区別して映像を見てみましょう。クマは本当にカラスを助けたのでしょうか? 単に動くものに興味を持っただけで、カラスを助けるつもりなどなかった可能性があります。食べようと思ったが、おいしくなさそうだと思ってやめたのかもしれません。「助けた」というのは映像を見た人の判断で、「事実」と「意見」で言えば「意見」です。

いい話として取り上げられ、盛り上がっているところに無粋なことを言うようですが、「事実」と「意見」の区別を知らないで「助けた」としてしまうのは問題があります。

第一に、人間の価値観でクマの行動を決めつけてしまうのは、科学的な思考力の低下に繋がります。

第二に、「それに比べて人間は……」などと道徳的な文脈で使うことによる弊害です。クマがカラスを助ける習性があるということは生物学的に証明されていないと思いますが(論文があれば教えて下さい)、そのような言わば嘘を根拠にして「助け合わなければならない」「戦争はよくない」などと主張することは、嘘だとわかったときに主張そのものを安っぽいものにしてしまいます。この問題点は「水からの伝言」や「江戸しぐさ」で指摘されていることです。

もし、このクマがカラスを助けたと言いたければ、

クマがカラスの右の翼をくわえて水から引き上げた。まるでカラスを助けているようだった!

と「事実」(クマがカラスの右の翼をくわえて引き上げた)と「意見」(クマがカラスを助けた)を区別するとよいでしょう。聞く方も、この人には助けるように見えたのだなということがわかります。

いい話だから不正確な説明、嘘でもかまわないと気を許していると、感動しているうちにとんでもないものに騙されてしまうかもしれません。

 

 

事実と意見の区別は無意味なのか

論理的な文章を書くことで最も大切なのは、「事実」と「意見」を区別すること、これに尽きます。

「事実」と「意見」の区別を授業で取り上げるとき、よくいくつかの文を示して「事実」と「意見」を区別させるということをします。たとえば、

  1. オリンピック閉会式でのマリオのサプライズは素晴らしかった。
  2. オリンピック閉会式で安倍総理がマリオに扮するサプライズがあった。

という2つの文について、どちらが「事実」でどちらが「意見」かを考えるというものです。1は「素晴らしい」ということ自体は確認できず、素晴らしくないと思う人もいるわけなので書き手の「意見」であり、2はそういうサプライズがあったことを確認することができるから「事実」というわけです。

私は文章表現の授業でこの「事実」と「意見」の区別を必ず取り上げます。「事実」と「意見」を区別するという姿勢は、自分の書くものに責任を持つことに繋がるからです。

医療系の専門学校の授業では、「意見」で済ませるのではなく正確で具体的な「事実」を記録することを練習します。ちゃんとした医療者は患者さんについての記録を「とても元気そうだった」だけで済ませないでしょう。「体温36.5℃、脈拍75……」などと具体的なデータを記録するはずです。「元気そう」というのは素人でも書ける「意見」です。そう見えただけで、容態が急変するかもしれません。

大学の授業でレポートの書き方を指導するときも「事実」と「意見」の区別を重視します。誠実な書き手の「意見」は、「事実」を積み上げた正確な記録から導かれています。そういう書き手は他人の意見についても、引用という「事実」の形で記していますし、確かめることのできない事象について「あります」と「事実」の形で言い切ったりはしないものです。

masudanoriko.hatenablog.com

masudanoriko.hatenablog.com

しかし、「事実」と「意見」の区別は無意味だという人もいます。例えば、『現代教育科学』には宇佐見寛氏の「「事実と意見の区別」は有害無益である」という連載が掲載されています。 私はこれからも「事実」と「意見」の区別を取り上げるつもりですので、この連載に記された例から私も出会ったいくつかのパターンを取り上げて、「事実」と「意見」の区別が無意味ではないことを示しておこうと思います。

文そのものを区別する

 教室で、教師から紙を配られた。何か書かれている。「どれが事実ですか。」と教師は問う。

 大学生時代の未熟な私でも「紙の上に黒い線や点やら有ります。それが事実です。」くらいの答えはしただろう。(「「事実と意見の区別」は有害無益である」1)

これと同じようなことを私も学生さんに言われたことがあります。「文について判断して下さい」と答えました。

文脈に依存する表現には適応しない

「1たす1は2だ。」……これは事実か。「区別」論者は、事実だと言うだろう*1

 私は言おう。いや、違う。意見なのだ。「一人口は食えないが、二人口は食える。」などと言って身を固めるように勧めた人がいる。それに対する反対意見なのである。「「事実と意見の区別」は有害無益である」2)

こういうパターンについては、文脈に関係なく「事実」か「意見」かの判断を求めます。「事実」と「意見」の区別で扱う文は記録やレポート等の論理的な文であり、文学は対象としていないので、「1たす1は2だ。」についてのみ区別してもらいます。

事実には偽の事実もある

 先の例4・「寒暖計を見ると、もう三十℃もある」にもどる。 実は三十度ではなく、二十九度五分だったとする。この言を発した人物は、うそを言ったのか。事実ではないことを言ったのか。「「事実と意見の区別」は有害無益である」2)

この場合は「事実」、正確には「偽の事実」です。人間は間違うことがあり、データの数字を書き間違うこともあります。数字だけではなく、内容そのものが間違っていることもあります。例えば

蛍は腐った草から生まれる。

も「事実」(「偽の事実」)を表す文です。蛍が腐草から発生するというのは科学的に否定されていますが、江戸時代の人々にとっては真実でした。当時の人は「事実」として書いたでしょうし、現在も文としては「事実」を表す文です。同様に、例えば

東京ディズニーランドは東京都にある。

という文も、「事実」を表す文です。間違っていると思うのは実は千葉にあるのを知っているからで、ディズニーランドにまったく興味のない人*2はどこにあるのか知りません。

つまり、「事実」を表す文かどうかは、内容ではなく確かめられる形で書いてあるかどうかで判断します。この、確かめられる形で記録することが、論理的な文章を書くために重要なことなのです。間違っていることが確かめられれば、正確に書き直すことができるからです*3

事実には幅がある

事実を表している文だと判断する際、悩ましいのが形容詞です。

……こんな論法をとるならば、「ドアを開けて外に出たら、息が白く見えた。」も人によって異なる。(略)あの息が見える状態を「白い」という形容詞でとらえるかどうかも人による。「「事実と意見の区別」は有害無益である」3)

色を伝えるのが難しいことについては過去の記事にも書きました。

masudanoriko.hatenablog.com

赤に青を少しずつ混ぜていったとき、どこからを紫と呼ぶかは人によって異なります。青と緑の中間色について青緑という語彙でしか表現しない人もいれば、緑青、青磁、孔雀などと区別する人もいます。誰にでも同じ色に見えそうな純色でも、素材の質感によって見え方が変わってきます。人によって判断が異なってくる可能性があるので、色について述べた文を「事実」を述べたものというのは難しい面があります。

しかし、色は事実を記録する上で重要なデータなので、事実を表す文で記される実験記録などでも多用されています。たとえば、化学の実験で沈殿物の記録をするときには「白色」だけでなく「褐色」(Ag2O)・赤褐色(Fe(OH)3)・「青白色」(Cu(OH)2)・「淡緑色」(Fe(OH)2)などという色名が使われています。このように、その文を書く場の共通の認識、つまり「事実」があると考えればよいでしょう。

 色の他、幅がある表現には、形容詞の他に副詞の「およそ」「約」などがあります。

 「円周率は、約3.14である。」(前出『論理的思考力を育てるドリル・第2集』一五四ページ)この箇所の筆者によれば、この文は「事実」なのだそうである。

 違う。「意見」である。「反論」が、いろいろ成り立つからである。「「事実と意見の区別」は有害無益である」4)

この場合、3.14を「約」と言うのが共通の認識かどうかということになります。私が問題集を作るのならわざわざこういうのを入れませんが、円周率は誰でも計算して求めることができますし、現代の一般的な人々は求められた数字を「約3.14」だとするのに違和感はないのではないかと思います*4

何のための区別か

「事実」と「意見」の区別を取り上げる際、私ははっきりと区別できて問題がなさそうなものしか使いません。というのも、すべての文を「事実」と「意見」に区別する必要はないと考えているからです。「事実」と「意見」という概念は、具体的なデータを記録する習慣を付けるために理解すべき内容であり、論理的な文章を書くためのツールだからです。

「事実」と「意見」については、まずわかりやすいシンプルな例文を取り上げてしっかり区別ができるようにし、幅がある事実に関しては各専門分野で身に付けていくのがよいと思います。

「事実」と「意見」を区別するという姿勢が身に付いていない人は、往々にして自分の書くものに責任を持っていません。不確かな情報や自分の推測を「事実」であるかのように言い切って並べ、無責任な意見に繋げています。ネット上には不必要に不安や恐怖を煽ったり、論理的には有り得ないことをもっともらしく述べたりする酷い文章が溢れています。こういった文章を見ても、「事実」と「意見」の区別を学ぶことがいかに重要なのかがわかります。

*1:二進法なら2にならないので、情報が足りない文であると思う。

*2:私です。

*3:ただ「寒暖計を見ると、もう三十℃もある」の文は「もう」「も」に書き手の「意見」が紛れているので、私が出題するなら「寒暖計は三十度を指している。」とします。

*4:数学の文は事実を表す文の用例にサクッと使いがちですが実は使いにくく、つきつめていくと三角形も直線も存在しないことになりますが長くなるので別の機会に。

レポートの内容以前のこと

毎年多くのレポートを受け取っていると、想像を絶するものがあります。今回は、内容以前の問題を取りあげてみます。今までに受け取ったことのあるレポートを例に挙げましょう。

  • A4の用紙を指定したが、B5のルーズリーフに書いている。
  • 色付きの用紙に書いている。

私個人としては、サイズ違いは失格扱いでよいと考えています。それが厳しすぎるなら書き直して再提出にしたいところです。

色付きの用紙というのは盲点でした。問題には「用紙は白を用いること」と書いていません。今後、書かないといけないのか悩むところです。常識だと言い切れると思いますが、無地の白を指定しないと、そのうちキャラクターのイラスト入りの用紙で提出する例が出るかもしれません。

  • 消しゴムのかすが着いている。
  • 靴で踏んだ跡が着いている。
  • 口紅など化粧品が着いている。

レポートが汚れていると決して良い印象を与えません。この他に、

  • ご飯粒が着いている。
  • 食品の油が染み込んでいる。

という、食品による汚れもあります。私は自宅では台所以外ではものを食べる習慣がありません。本を広げて仕事をする部屋では、飲み物は飲みますがお菓子の類いも持ち込みません。食べ物の汚れが紙に着くと取れないからです。

このように汚れていなくても、

  • 用紙が折れている。
  • 用紙がくしゃくしゃである。

ものは多いです。

レポートに限らず、提出物はきれいな状態を保ってほしい、そして担当者に提出するときも丁寧に両手で持って渡してほしいと思います。

――このようなことを言うと、なんだか私が偉そうにしていると捉える学生さんがいます(驚きです)。きれいな紙のレポートを両手で持って渡されると偉くなった気がしてうれしいので、そのようにさせたいのだというのです。それに反発して、いい加減なレポートを提出するというわけです。

はっきり言って、学生さんから偉い人扱いされるかどうかなど超どうでもいいです。そういうことを喜ぶほどつまらない人間ではないです。

レポートの内容以前のことをくどくど言うのは、大切なレポートは、大切なものとしてそれ相応の扱いをするという習慣を身に付けてほしいからです。今後の人生で書類を扱うときに、自然にできるように、今、練習してほしいからです。自分が大切に扱わないものは、他人も大切に扱わなくなるものです。

参考図書紹介:『コピペと言われないレポートの書き方教室』

授業で学生さんに紹介した本についても書いておきます。一冊目は、山口裕之『コピペと言われないレポートの書き方教室』(新曜社、2013)http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1345-7.htm です。STAP細胞に関する嵐のような報道が一段落したころ、「コピペ」がいけないのならいったいどうしたらいいのだという学生さんのニーズにぴったりのこの本が書店に並びました。

この本が他と異なっているのは、まずネットで調べ、それから紙の文献に当たるという現在では一般的なスタイルに対応していることです。レポートの書き方についての本には、ネットを利用する場合を付け足しのように説明しているものがいまだに多くありますが、この本ではWikipediaなどを調べるのが前提になっています。あまりに現在のスタイルに対応していて「携帯電話でレポートを作成するのはやめましょう」とあるのには、ショックを受ける人もいるかもしれませんが。

内容は極めて具体的に、どうしたらコピペにならないかを説明しています。出典の書き方や検索の仕方についても、パソコンの画面を示して説明する親切さ、まさに至れり尽くせりです。

こうして調べた結果を踏まえ、根拠として引用して自分の意見を主張できているのが、則ち「コピペと言われないレポート」なんですね。テーマを絞ってあるので分かりやすいです。

分量も100頁ほどしかないのですぐ読めます。それでも読めないという学生さんは巻末のチェックリストを利用するとよいでしょう。このチェックリスト、本文の対応する頁数があればもっと便利なのですが、役に立ちます。

自分の意見をきちんと表現できるということが、単にレポートを書くだけに留まらず民主主義社会において重要なことなのだというのが、本書の底流をなす著者のメッセージです。そして「おわりにーー民主主義とレポート」では熱いメッセージとなって記されています。この章は、教える側(私もそうですが)にとっては感動的ですが、この本の対象としている読者(コピペの何が悪いのか今ひとつ分かっていないような学生)には唐突で、よくわからないのではないかと思いました。

ところで、なぜコピペレポートというものが生まれるのでしょうか。著者は学生がコピペしてしまうのは、中学校や高校の調べ学習で「引用」と「丸写し」の違いが教育されていないからだと指摘しています。私も多くの学生さんから、本やネットで見つけた何かをそのまま発表するのが調べることだと学んできたと聞きましたので、この仮説は正しいのではないかと思います。(追記:2年前にこのことを書いていました。第13回 高校の国語科の「書く」授業 - 文章表現の授業です )

それに加えて私は、そもそもレポートにふさわしい文章を書けないからというのが、コピペをしてしまうもう1つの理由だと推測しています。本書では引用について重点を置いているため、文章そのものについてはあまり触れていませんが、たとえば接続詞を使って書くように説明していることなどは、トレーニングの課題に取り入れてみるつもりです。

絵葉書を使った授業のウォーミングアップ

第1回目の絵葉書を使った授業、第1回 正確に伝える - 文章表現の授業です はお勧めです。なかなか盛り上がりますし、何よりこれからの授業の方向性をわかってもらえます。

この授業をするには、数・大きさ・位置の要素が同じ絵葉書を数枚集める必要があります。ちょうどよいものが手許にない場合は、インターネット上のパブリックドメインなどで探し、カードを作るのも1つの方法だと思います。

ただ最初から複雑な絵を説明するのが上手くいかないかもしれません。簡単な図形でウォーミングアップをするとこちらの意図が伝わるかと思います。以下のようなものです。

【練習①】
カードに丸・三角・四角が1つずつある絵を描きます。
描けた人から2人組になってください。相手に自分のカードを見せてはいけません。
お互いに自分のカードの絵について説明し、相手の絵を再現しましょう。

「直径5センチの丸、一辺が5センチの正三角形・正四角形」など、図形のおおよその大きさを使用する用紙によって指定しておくとスムースに進みます。

【練習②】
練習①と同じ方法で、丸・三角・四角のどれか1つを大きく描きましょう。

この場合も、一辺の大きさが2倍などと指定するとよいでしょう。

【練習③】
練習②と同じ方法で、丸・三角・四角の数を増やして描きましょう。

この後、絵葉書を用いて同様に行います。練習①~③は口頭で説明し、絵葉書を使うときはブレインストーミングを行って文章でまとめるようにすると、90分で収まります。 

保育士はどんな勉強をしてきたのか――文章表現の技術の視点から――

厚生労働省が保育士の配置基準を緩和し、資格を持たなくても保育できるようにするという12月4日のニュースは、保育士や保育士を目指す学生さんたちにとって衝撃だったと思います。子供の少ない朝夕は保育士2人以上の配置が義務付けられていたのが、改正された来年4月からは保育士1人に加え、無資格の人も保育できるということです。これが認められれば、ずるずると無資格者の保育が行われるようになるかもしれないと危惧します。

保育の仕事は、無資格でも可能なのでしょうか。ここでは、保育士の資格を持っている人が、どのような勉強をしてきたのか、無資格の人とはどこが違うのかをについて触れたいと思います。

私は今年の前期、保育コースの文章表現の授業を担当しました。私が担当した短期大学では前期15回、後期15回の計30回、文章表現の講義があります。後期の講義は専門の先生が担当され、保育の分野に特有の用語や表現を用いるもので、私は前期の基礎を担当しました。

保育士にとって文章を書くのは欠かせない仕事です。たとえば、たいていの保育所では「お便り帳」などと呼ばれているノートが活用されています。保護者と保育士がコミュニケーションを取るための大切なノートです。慌ただしい朝、働く保護者は保育士とゆっくりと話すことができません。そこで簡単な連絡事項や、時には心配事などをノートに書くのです。保育士は保育所にいる間の子供の様子をそのノートを使って伝えます。親の勤務時間や保育士のシフトの関係で、お迎えに行ったときに対応する保育士と、日中ほとんどの時間子供をみていた保育士が別人ということもありますから、このノートの記録は非常に重要なものになります。

そこで基礎の授業では、事実を正確に記述するというトレーニングを徹底して行いました。具体的には、以下の内容をアレンジして繰り返しました。

masudanoriko.hatenablog.com

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保育士が保護者に子供の様子について伝えるには、こういった講義を受け、実際に書く訓練をする必要があると考えます。事実と意見を分けて書くという基礎を知らないと、たとえばお昼寝について書く場合、次のように書く可能性があります。

ぐっすりお昼寝しました。

よく眠っていました。

「ぐっすり眠っている」「よく眠っている」というのは『理科系の作文技術』でいうところの「意見」です。その人がそう判断したに過ぎません。このような表現だと、ノートを読んだ保護者が、ぐっすりお昼寝したから少々夜更かししても大丈夫と思って、子供を睡眠不足にさせるかもしれません。

講義を受けて正確な記録文について学んだ保育士なら、「ぐっすり」「よく」などと書くにしても、次のように具体的な表現を続けるでしょう。

一度も途中で目を覚ましませんでした。

ぐずることなく、すぐに眠りました。

同様に、

お友達と喧嘩をしてしまいました。

だけだと心配ですが、

お友達とブロックの取り合いをして、泣いてしまいました。

なら何が起きたのかがわかります。体調が今一つだった日に

熱もなく元気に遊んでいました。

おやつもたくさん食べました。

と書いてあるよりも、

お昼寝の前に熱を測りましたが、36.4度でした。

いつものように園庭を走り回って遊んでいました。

おやつのいちごは4粒全部食べました。

と事実を具体的に書いている方が安心できます。

事実と意見を書き分けることは論理的な文章を書く基礎ですが、私が担当した学生が保育士の資格を取得した場合、90分授業で15回にわたってこういったトレーニングを受けていたことになります。

無資格者の場合、こういった技術を身に付けているかどうかはわかりません。ただ単に子供が好き、保育の仕事がしたい、というだけでは上記のような記録文を書けるかどうかわかりません。厚生労働省の発表では無資格者に研修を受けさせるとありますが、前期だけでも90分15回かけてトレーニングする内容を、何時間の研修で身に付けさせるのか甚だ疑問です。

基礎的な文章表現の技術を身に付けているかどうかという面からも、無資格者の保育が認められることに不安を覚えます。

 

後期第10回 文章を書くのに便利なサイト

学生さんが文章を書く際に、よく「こんなサイトを使えば便利」と紹介することがあるのですが、一度まとめて教えてほしいという要望があったので、お気に入りなどに入れて実際に使っているものをまとめました。改めて集めてみると、少ないですね。「こんなの使っているよ」「あれは使わないの?」という情報をお待ちしています。

まずは、作業用・勉強用BGM youtube にたくさんあります。私はカフェの音がするのが好みです。

www.youtube.com

はじまる・はじめ・はじめて・はじめる 105 

【初め・初めて】ある期間の早い段階。最初。先の方のもの。

初めはこう思った。秋の初め。年の初め。初めて聞いた話。初めてお目に掛かる。
初めての経験。初めからやり直す。初めの曲の方がいい。
【始まる・始め・始める】開始する。始めたばかりの段階。物事の起こり。主たるもの。
懇親会が始まる。仕事を始める。書き始める。手始め。仕事始め。始めと終わり。
国の始め。人類の始め。校長を始め,教職員一同……*。
* 「校長をはじめ,教職員一同……」などという場合の「はじめ」については,多くの人や物の中で「主たるもの」の意で「始」を当てるが,現在の表記実態としては,仮名で書かれることも多い。 

明らかな誤用でない限り、それぞれの表現の個性は尊重されるべきですが、より読みやすい文章を書く心がけは大切だと思います。
文化庁の資料などは、数人で1つの書類を作るときなどの基準として用いるとよいでしょう。

国語辞典の付録や編集者のための辞典なども役立ちますが、パソコンを使うと用例の検索が楽で、能率がよくなります。