文章表現の授業です

専門学校や大学で担当している「国語表現法」「日本語表現」などといった授業の覚え書き

参考図書紹介:『大人のための国語ゼミ』

名著『論理トレーニング』の筆者である野矢茂樹氏による“国語ゼミ”。「論理国語」という科目から私がイメージするのが、まさにこういう内容です。

期待通りの内容ですが、ここでは第2章「事実なのか 考えなのか」、論理的な文章を書くためには必須の考え方、「事実と意見」を区別するということについての本書の内容を取り上げましょう。

日本ではおそらく『理科系の作文技術』から広まったこの考え方は、多面的な事実を扱う文系の学問には当てはめにくい部分がありました。その点、本書は文系の読者にも目配りが利いているのがありがたいところです。1つの事実を複数の表現で表す練習は、これまでもよく行われていたと思いますが、こうして「事実と意見」の流れの中で捉えるとその意味がよく分かり、理解が深まるでしょう。

本書では「事実と意見」の2つに分けるのではなく、「事実・推測・意見」の3つになっているのも特徴です。まず「事実と考え」の2つに分け、「考え」を推測と意見に分けています。この分け方はとてもわかりやすく、これまで「意見」という専門用語に馴染めなかった人にもわかってもらえるのではないでしょうか。

「事実と意見」については私も文章表現の授業でしつこく伝えているのですが、いつも参考文献としてあげている『理科系の作文技術』では今ひとつわからないという学生さんに勧めたい一冊です。

事実と意見の区別には批判的な意見もあります。私の考えを書いておきました。

事実と意見の区別は無意味なのか - 文章表現の授業です

事実を記述する練習の教材で、人物の性別を書かせるのは問題があるかも知れないと思うようになりました。このことについては考え中です。

第2回 事実を記述する - 文章表現の授業です

敬語の授業について

授業で敬語を取り上げたときの工夫についてメモしておきます。

  • 敬語の指針 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_6/pdf/keigo_tousin.pdf「敬語の本を買わなくてもこれがあります」と言うと反応がある。
  • www.bunka.go.jp 1話を途中まで見せて、あとは各自でどうぞという扱いにした。

  • フラッシュカード(表に「気に入る」、裏に「お気に召す」などと書いたもの)は少し子供っぽいかと思ったが、意外とノってくれた。クラスの雰囲気に合わせて、講師がカードを見せたり、学生さんに渡してお互いに当てていくようにしたりした。眠気覚ましにはよかったと思う。外国人向けの日本語教育が参考になる。
  • 国語学習のようにロールプレイも試みた。但し、ノリのよいクラスでないと悲惨なことになる…

敬語も含め、私の授業では「正しい」「間違った」日本語という表現はせず、「でも面接の時などはこういう表現にしておいた方が安心です」と付け加えるようにしている。しかし、マナーの授業や就職活動対策ではそうでもないらしく、「その日本語はおかしい」などと平気で言っている。学生さんはそういうところで敬語自体は学んでいるが、必ずしも学問的に体系立って理解しているわけではないようだ。正しい日本語、間違った日本語などというとらえ方は、面接を乗り切るのには手っ取り早いかもしれないが、長い目で見ると間違った言語観を植え付けることになると思う。

パソコンルームでの授業の効果

神戸山手大学で担当している日本語表現法の授業の教室を、平成30年度はパソコンルームで行っています。その他の大学・専門学校では手書きで、神戸山手大学でも当然のように手書きにしていたのですが、パソコンルームも使えるということで変更してもらいました。

30年度の授業はまだ残っていますが、効果は絶大です。これまで手書きだった学生さんに申し訳ないくらいです。

課題をパソコンで書いて提出することの利点はたくさんありますが、ここでは2つ書いておきます。

1つは書いている最中に講師が問題を見つけた場合、指摘したその場で書き直せることです。紙に書いて提出だと、訂正がしにくかったり時間がかかったりします。パソコンの場合は段落の順番を変えるなど大幅に書き直すことも簡単です。後期は提出物の字数が800字~1200字なので、パソコンで書く利点を特に実感しています。

紙で提出してもらったものに朱を入れて返却するとなると、早くても翌週になりますから、その場でサクサク書き直せるのは授業進行の上でも利点です。

2つめは、学生さんがインターネットで資料を検索して引用している現場に居合わせているので、信用できるサイトとそうでないサイトの見分け方や、引用の仕方を具体的に説明することができることです。

手書きの方がいいという方の中にはコピペを予防するためという目的を説く方がいますが、逆にコピペは劇的に減りました。

もちろん、すべての大学・専門学校でパソコンを使った授業ができるとは限らないでしょう。神戸山手大学の場合は1クラス多くても20人で3クラスのリピート授業をしています。これが30人2クラスだと学生さんが多すぎて目が届かなくなると思います。また神戸山手大学では別の授業でワードは普通に使えるようになっていますので、パソコンの使い方の説明をする必要はありません。

授業の前半は説明、後半は実際に書いて、講師がパソコンルームを巡回しているという形です。手書きのころと違って今年度は書けない学生さんも自分から質問してくれることが多くなりました。他校でも、特に毎回のように長文のレポートを書く授業では、条件さえ揃えばパソコンルームを使用させてほしいです。

第12回 映像を記録・説明する 教材 

映像を記録・説明する授業の教材にラジオが使えるのではないかと思った。

私はテレビを持っていない。特に強い主張があってのことではないが、もともとあまりテレビは見なかったので、今の家に引っ越してきたとき買わないでいたら6年経っていた。朝食と洗い物の時間、テレビの代わりにラジオを聞いている。

紅白歌合戦とオリンピックもラジオで楽しんだが、さすがに映像も見たくなった。ラジオで説明を聞いて想像していた画像を、インターネットや他所様のお家で見た。想像通りでさすがアナウンサーは説明がうまいと思ったものもあったし、こちらの基礎知識のなさも影響したためか、まったくイメージが違ったものもあった。

最近はラジオも聞き逃しをアプリなどで簡単に聞くことができるし、テレビもオンデマンドを利用できる。同じ番組の解説が、音声だけのラジオと映像を伴うテレビとではどう違うかを考えるのも、映像を記録・説明するトレーニングのいい教材になるのではないだろうか。

第12回 映像を記録・説明する

絵葉書や写真を使って状況を説明するという課題の他に、映像を見て状況を説明するということも取り上げます。映像の場合も絵葉書や写真と同様に、できるだけ具体的に説明し、「事実」と「意見」を区別することを練習します。

この課題は1セット10分くらいで済むので、長文を書くようなちょっとヘビーな課題の合間に取り入れるといいと思います。授業は2つのグループに分かれて行います。1つのグループに映像を見ながら他方のグループにその内容を説明してもらいます。その後全員で映像を見て、ちゃんと伝わったかどうか確認します。

この授業で何が大変かというと、ちょうどよい動画を探すことです。「事実」と「意見」の区別に役立つようなものが適しています。たとえば少し前に話題になった、Crow rescue(溺れているカラスを助けるクマ)は授業の目的にぴったりでした。

クマがおぼれたカラスを食べちゃうかと思いきや華麗に救出 一方で状況が飲み込めないカラス - ねとらぼ ねとらぼ にも取り上げられました。

Crow rescue - YouTube 元のサイト

溺れているカラスを助けるクマ - YouTube 日本語のコメントが見られます。

 

この映像を見ていない人にもわかるように説明する場合、「事実」と「意見」を区別して説明することを意識していれば、

クマがカラスの右の翼をくわえて引き上げた。

でいいはずです。しかし、多くの人はこの映像を見て

クマがカラスを助けた。

と説明します。youtubeにも感動のコメントがたくさんついています。

ここで、「事実」と「意見」を区別して映像を見てみましょう。クマは本当にカラスを助けたのでしょうか? 単に動くものに興味を持っただけで、カラスを助けるつもりなどなかった可能性があります。食べようと思ったが、おいしくなさそうだと思ってやめたのかもしれません。「助けた」というのは映像を見た人の判断で、「事実」と「意見」で言えば「意見」です。

いい話として取り上げられ、盛り上がっているところに無粋なことを言うようですが、「事実」と「意見」の区別を知らないで「助けた」としてしまうのは問題があります。

第一に、人間の価値観でクマの行動を決めつけてしまうのは、科学的な思考力の低下に繋がります。

第二に、「それに比べて人間は……」などと道徳的な文脈で使うことによる弊害です。クマがカラスを助ける習性があるということは生物学的に証明されていないと思いますが(論文があれば教えて下さい)、そのような言わば嘘を根拠にして「助け合わなければならない」「戦争はよくない」などと主張することは、嘘だとわかったときに主張そのものを安っぽいものにしてしまいます。この問題点は「水からの伝言」や「江戸しぐさ」で指摘されていることです。

もし、このクマがカラスを助けたと言いたければ、

クマがカラスの右の翼をくわえて水から引き上げた。まるでカラスを助けているようだった!

と「事実」(クマがカラスの右の翼をくわえて引き上げた)と「意見」(クマがカラスを助けた)を区別するとよいでしょう。聞く方も、この人には助けるように見えたのだなということがわかります。

いい話だから不正確な説明、嘘でもかまわないと気を許していると、感動しているうちにとんでもないものに騙されてしまうかもしれません。

 

 

事実と意見の区別は無意味なのか

論理的な文章を書くことで最も大切なのは、「事実」と「意見」を区別すること、これに尽きます。

「事実」と「意見」の区別を授業で取り上げるとき、よくいくつかの文を示して「事実」と「意見」を区別させるということをします。たとえば、

  1. オリンピック閉会式でのマリオのサプライズは素晴らしかった。
  2. オリンピック閉会式で安倍総理がマリオに扮するサプライズがあった。

という2つの文について、どちらが「事実」でどちらが「意見」かを考えるというものです。1は「素晴らしい」ということ自体は確認できず、素晴らしくないと思う人もいるわけなので書き手の「意見」であり、2はそういうサプライズがあったことを確認することができるから「事実」というわけです。

私は文章表現の授業でこの「事実」と「意見」の区別を必ず取り上げます。「事実」と「意見」を区別するという姿勢は、自分の書くものに責任を持つことに繋がるからです。

医療系の専門学校の授業では、「意見」で済ませるのではなく正確で具体的な「事実」を記録することを練習します。ちゃんとした医療者は患者さんについての記録を「とても元気そうだった」だけで済ませないでしょう。「体温36.5℃、脈拍75……」などと具体的なデータを記録するはずです。「元気そう」というのは素人でも書ける「意見」です。そう見えただけで、容態が急変するかもしれません。

大学の授業でレポートの書き方を指導するときも「事実」と「意見」の区別を重視します。誠実な書き手の「意見」は、「事実」を積み上げた正確な記録から導かれています。そういう書き手は他人の意見についても、引用という「事実」の形で記していますし、確かめることのできない事象について「あります」と「事実」の形で言い切ったりはしないものです。

masudanoriko.hatenablog.com

masudanoriko.hatenablog.com

しかし、「事実」と「意見」の区別は無意味だという人もいます。例えば、『現代教育科学』には宇佐見寛氏の「「事実と意見の区別」は有害無益である」という連載が掲載されています。 私はこれからも「事実」と「意見」の区別を取り上げるつもりですので、この連載に記された例から私も出会ったいくつかのパターンを取り上げて、「事実」と「意見」の区別が無意味ではないことを示しておこうと思います。

文そのものを区別する

 教室で、教師から紙を配られた。何か書かれている。「どれが事実ですか。」と教師は問う。

 大学生時代の未熟な私でも「紙の上に黒い線や点やら有ります。それが事実です。」くらいの答えはしただろう。(「「事実と意見の区別」は有害無益である」1)

これと同じようなことを私も学生さんに言われたことがあります。「文について判断して下さい」と答えました。

文脈に依存する表現には適応しない

「1たす1は2だ。」……これは事実か。「区別」論者は、事実だと言うだろう*1

 私は言おう。いや、違う。意見なのだ。「一人口は食えないが、二人口は食える。」などと言って身を固めるように勧めた人がいる。それに対する反対意見なのである。「「事実と意見の区別」は有害無益である」2)

こういうパターンについては、文脈に関係なく「事実」か「意見」かの判断を求めます。「事実」と「意見」の区別で扱う文は記録やレポート等の論理的な文であり、文学は対象としていないので、「1たす1は2だ。」についてのみ区別してもらいます。

事実には偽の事実もある

 先の例4・「寒暖計を見ると、もう三十℃もある」にもどる。 実は三十度ではなく、二十九度五分だったとする。この言を発した人物は、うそを言ったのか。事実ではないことを言ったのか。「「事実と意見の区別」は有害無益である」2)

この場合は「事実」、正確には「偽の事実」です。人間は間違うことがあり、データの数字を書き間違うこともあります。数字だけではなく、内容そのものが間違っていることもあります。例えば

蛍は腐った草から生まれる。

も「事実」(「偽の事実」)を表す文です。蛍が腐草から発生するというのは科学的に否定されていますが、江戸時代の人々にとっては真実でした。当時の人は「事実」として書いたでしょうし、現在も文としては「事実」を表す文です。同様に、例えば

東京ディズニーランドは東京都にある。

という文も、「事実」を表す文です。間違っていると思うのは実は千葉にあるのを知っているからで、ディズニーランドにまったく興味のない人*2はどこにあるのか知りません。

つまり、「事実」を表す文かどうかは、内容ではなく確かめられる形で書いてあるかどうかで判断します。この、確かめられる形で記録することが、論理的な文章を書くために重要なことなのです。間違っていることが確かめられれば、正確に書き直すことができるからです*3

事実には幅がある

事実を表している文だと判断する際、悩ましいのが形容詞です。

……こんな論法をとるならば、「ドアを開けて外に出たら、息が白く見えた。」も人によって異なる。(略)あの息が見える状態を「白い」という形容詞でとらえるかどうかも人による。「「事実と意見の区別」は有害無益である」3)

色を伝えるのが難しいことについては過去の記事にも書きました。

masudanoriko.hatenablog.com

赤に青を少しずつ混ぜていったとき、どこからを紫と呼ぶかは人によって異なります。青と緑の中間色について青緑という語彙でしか表現しない人もいれば、緑青、青磁、孔雀などと区別する人もいます。誰にでも同じ色に見えそうな純色でも、素材の質感によって見え方が変わってきます。人によって判断が異なってくる可能性があるので、色について述べた文を「事実」を述べたものというのは難しい面があります。

しかし、色は事実を記録する上で重要なデータなので、事実を表す文で記される実験記録などでも多用されています。たとえば、化学の実験で沈殿物の記録をするときには「白色」だけでなく「褐色」(Ag2O)・赤褐色(Fe(OH)3)・「青白色」(Cu(OH)2)・「淡緑色」(Fe(OH)2)などという色名が使われています。このように、その文を書く場の共通の認識、つまり「事実」があると考えればよいでしょう。

 色の他、幅がある表現には、形容詞の他に副詞の「およそ」「約」などがあります。

 「円周率は、約3.14である。」(前出『論理的思考力を育てるドリル・第2集』一五四ページ)この箇所の筆者によれば、この文は「事実」なのだそうである。

 違う。「意見」である。「反論」が、いろいろ成り立つからである。「「事実と意見の区別」は有害無益である」4)

この場合、3.14を「約」と言うのが共通の認識かどうかということになります。私が問題集を作るのならわざわざこういうのを入れませんが、円周率は誰でも計算して求めることができますし、現代の一般的な人々は求められた数字を「約3.14」だとするのに違和感はないのではないかと思います*4

何のための区別か

「事実」と「意見」の区別を取り上げる際、私ははっきりと区別できて問題がなさそうなものしか使いません。というのも、すべての文を「事実」と「意見」に区別する必要はないと考えているからです。「事実」と「意見」という概念は、具体的なデータを記録する習慣を付けるために理解すべき内容であり、論理的な文章を書くためのツールだからです。

「事実」と「意見」については、まずわかりやすいシンプルな例文を取り上げてしっかり区別ができるようにし、幅がある事実に関しては各専門分野で身に付けていくのがよいと思います。

「事実」と「意見」を区別するという姿勢が身に付いていない人は、往々にして自分の書くものに責任を持っていません。不確かな情報や自分の推測を「事実」であるかのように言い切って並べ、無責任な意見に繋げています。ネット上には不必要に不安や恐怖を煽ったり、論理的には有り得ないことをもっともらしく述べたりする酷い文章が溢れています。こういった文章を見ても、「事実」と「意見」の区別を学ぶことがいかに重要なのかがわかります。

*1:二進法なら2にならないので、情報が足りない文であると思う。

*2:私です。

*3:ただ「寒暖計を見ると、もう三十℃もある」の文は「もう」「も」に書き手の「意見」が紛れているので、私が出題するなら「寒暖計は三十度を指している。」とします。

*4:数学の文は事実を表す文の用例にサクッと使いがちですが実は使いにくく、つきつめていくと三角形も直線も存在しないことになりますが長くなるので別の機会に。

レポートの内容以前のこと

毎年多くのレポートを受け取っていると、想像を絶するものがあります。今回は、内容以前の問題を取りあげてみます。今までに受け取ったことのあるレポートを例に挙げましょう。

  • A4の用紙を指定したが、B5のルーズリーフに書いている。
  • 色付きの用紙に書いている。

私個人としては、サイズ違いは失格扱いでよいと考えています。それが厳しすぎるなら書き直して再提出にしたいところです。

色付きの用紙というのは盲点でした。問題には「用紙は白を用いること」と書いていません。今後、書かないといけないのか悩むところです。常識だと言い切れると思いますが、無地の白を指定しないと、そのうちキャラクターのイラスト入りの用紙で提出する例が出るかもしれません。

  • 消しゴムのかすが着いている。
  • 靴で踏んだ跡が着いている。
  • 口紅など化粧品が着いている。

レポートが汚れていると決して良い印象を与えません。この他に、

  • ご飯粒が着いている。
  • 食品の油が染み込んでいる。

という、食品による汚れもあります。私は自宅では台所以外ではものを食べる習慣がありません。本を広げて仕事をする部屋では、飲み物は飲みますがお菓子の類いも持ち込みません。食べ物の汚れが紙に着くと取れないからです。

このように汚れていなくても、

  • 用紙が折れている。
  • 用紙がくしゃくしゃである。

ものは多いです。

レポートに限らず、提出物はきれいな状態を保ってほしい、そして担当者に提出するときも丁寧に両手で持って渡してほしいと思います。

――このようなことを言うと、なんだか私が偉そうにしていると捉える学生さんがいます(驚きです)。きれいな紙のレポートを両手で持って渡されると偉くなった気がしてうれしいので、そのようにさせたいのだというのです。それに反発して、いい加減なレポートを提出するというわけです。

はっきり言って、学生さんから偉い人扱いされるかどうかなど超どうでもいいです。そういうことを喜ぶほどつまらない人間ではないです。

レポートの内容以前のことをくどくど言うのは、大切なレポートは、大切なものとしてそれ相応の扱いをするという習慣を身に付けてほしいからです。今後の人生で書類を扱うときに、自然にできるように、今、練習してほしいからです。自分が大切に扱わないものは、他人も大切に扱わなくなるものです。