まともなレポートを書けない大学生が多い理由として、それまでの国語教育では感想文などの情緒的な文章しか書かされなかったからだということがよく言われますが、それに対する反論も同業者の間で耳にします。実際、高等学校学習指導要領解説を見てみると、
論理の構成や展開を工夫し,論拠に基づいて自分の考えを文章にまとめること。(第2章第1節3B「書くこと」(1)指導事項)
などという項目がちゃんとあります。
このように国語科の学習指導要領を見ていると、現代の日本の国語教育では必ずしも論理的な文章の書き方を軽んじているわけではないように思われます。
しかし実際はどうなのでしょうか。高校までにどのような文章を書いてきたのか大学生に尋ねると、私の場合圧倒的に多いのはやはり「感想文」です。読書感想文だけではなく、体育祭や文化祭、社会見学や遠足など、何かにつけて感想文を提出した(させられた)ことを、彼ら彼女らは「鬱陶しかった」という記憶と共に話してくれます。学習指導要領に書かれているような「説明や意見などを書く言語活動」も学んだのかもしれませんが、印象に残っていないようなのです。
過去に一度だけですが、国語の教師が論理的な文章を書く指導を熱心に行っていたという学生がいました。学校や教師によって状況は全く異なるのでしょう。私の接する範囲では、高校時代に意見文や説明文の型が身に付くまで繰り返し練習してきた大学生はやはり非常に少ないのです。
学習指導要領には
説明や意見などを書く言語活動
イ 出典を明示して文章や図表などを引用し,説明や意見などを書くこと。(第2章第1節3B「書くこと」(2) 言語活動例)
と引用についての項目もあります。この引用については、学習指導要領に従っていれば小学校3年生から継続して学んでいるはずです。大学生がなぜコピペレポートを書くのか実に不思議です。
「調べ学習」と称して小学校の頃から本や新聞、場合によってはインターネットの記事を用いることがありますが、多くの学生たちはその場合も引用のルールを学んだ記憶がないと言います。何かを探してきただけで偉いと褒められ、丸写しをしていても咎められなかったそうです。出典を示さない引用を注意するとキョトンとする学生がいるのは、このような教育を受けてきたからではないでしょうか。いい加減な「書く」授業ならしない方がマシです。
大学生のレポートを書く技術に関しては、大学ばかりがその責任を問われ、初年時教育も行われています。しかし大学入学まで、特に高校での「書く」授業の実態がどのようになっているのかも、明らかにする必要があると思います*1。