問題1
別紙の絵になにが描かれているか、この絵を見ていない人にもわかるように説明する文章を書きましょう。
数 大きさ 位置・向き
- 人が3人
- 鳥が2羽
- 街灯が1台(本・基などとも数えるようです。もう少し助数詞の揺れのないものの方がよかったかもしれません。余裕があれば助数詞の話もするといいかも。)
- 1人は女性。右手でベビーカーのハンドルを持っている。左手には携帯を持っている。その携帯を見ている。
- 1人は男の子。女性の向かって左にいる。右手を伸ばして鳥を指さしている。左手でベビーカーをつかんでいる。
- もう1人は赤ん坊。ベビーカーの中にいる。
- 向かって左側の鳥は羽を広げている。
- 1人の母親が2人の子供を連れて散歩にやって来た。
問題2
問題1で書いた文章のうち、「事実」とそうでない部分をそれぞれ別のラインマーカーや色ペンで区別しましょう。
というわけで、問題1で書いた文章の内容で、「ほんまか? ほんまか? ほんまにほんまか??」と詰め寄られたら自信がなくなる……という部分を削りましょう。責任を持ってこれは事実だと言い切れることだけを書きます。そうして削ぎ落としていくと、たとえば、
- 1人の女性と2人の子供がいる。
という実に素っ気ない文になります。そっけないですが、まあ、この文ならその内容に責任が持てますね。
(こう言うと、用心深い学生さんの中には「女性のように見える物体が」などと書く人がいるのですが、そこまで疑っていくときりがないので、一応「女性」にしておきます。)
「でもこれふつう誰が見てもお母さんでしょ! お散歩してるとこでしょ! なんで書いたらあかんの?」と思われる方もいるかもしれません。
もちろん、書いてはいけないということはありません。しかし、書く時にはそれが事実ではなく推測だとわかるように書く必要があります。たとえば次のように書くといいですね。
- 1人の女性と2人の子供がいる。母親が子供を連れて散歩に来ているところのようだ。
文末の「ようだ」で推測であることがはっきりしました。
また次のような文章を書いた人もいるかもしれません。
- 母親は子供そっちのけで携帯に夢中になっている。このような光景をよく目にするが、子供が危険な目に遭ったらどうするのか。
「母親」に関してはすでに述べました。「携帯に夢中」とはどのような状態なのでしょうか。「携帯に夢中」かどうかなんて、本人にしかわかりません。もしかすると何か緊急の、重要な連絡が入ったのかもしれません。
事実かどうかわからない「携帯に夢中」な「母親」を「よく目にする」と続け、批判するのは、はたして誠実な書き手と言えるでしょうか? この内容は、次のように書くといいのではないでしょうか。まず
- 1人の女性と2人の子供がいる。母親と子供のようだ。母親は子供そっちのけで携帯に夢中になっているように見える。
- 子供を連れているときに携帯を使うのは、注意が行き届かず子供が危険な目に遭うかもしれないので、できるだけ避けるべきだと思う。
と続けるのはいかがでしょう。この方が誠実ではありませんか? 事実とそうでない部分ははっきり区別して書きましょう。
この、事実とそうでない部分を区別して書くというのは、文章を書く上で最も基本的で重要なことです。書くからにはあなたはその文章に責任を持たなければなりません。
たとえば、問題1のイラストが、もっと深刻で物騒な場面、ピストルを持って立っている男性と血を流して倒れている女性だったらどうでしょう?
その場面を目撃したあなたが、「男性が女性を撃った」「男性が女性を撃ち殺した」などという表現で事実として言い切ってしまうと、場合によってはその男性に訴えられるかもしれませんよ。だってたまたまピストル片手に通りがかって殺人現場に居合わせただけかもしれないじゃないですか。それに、死んでいるかどうかは、見ただけではわからないし……。
ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領であった.
ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった.
どちらの文が事実の記述か? もう一つの文に述べてあるのはどんな意見か? 事実と意見とはどう違うか?
ーー木下是雄『理科系の作文技術』101頁より
どちらが事実を表す文なのか、もうわかりますね。(ここでいう「意見」はふだん使う言葉としての「意見」と少し違うのでとまどうかもしれません。)木下是雄はそのアメリカの教科書に次のような注があることを引用しています。
私たち日本人は、文章を書くときにこの事実と意見の区別をあまり気にしていないかもしれませんが、これはとても重要なことなんです。このことだけは次回からもずっと気にとめておいて下さい。事実とは,証拠を挙げて裏付けすることのできるものである.
意見というのは,何事かについてある人が下す判断である.ほかの人はその判断に同意するかもしれないし,同意しないかもしれない.
ーー木下是雄『理科系の作文技術』102頁より
今日からは、事実と意見ははっきり区別するようにしましょう!
(木下是雄の文章は「、」「。」ではなく「,」「.」を使って書かれています。授業では「」「、」「。」を用いますが、横書きの場合どちらでもかまいません。これを含めた表記については別の回で説明します。)
問題3
次の1~10の文で事実を述べている文を選び、番号に○を付けましょう。
(『理科系の作文技術』には教科書から事実と意見を区別する問題を引用していますが、これを参考に作りました)
- ○○学校は○○市にある。(授業をする学校の名前と所在地を入れて下さい。)
- 諏訪山大学は神戸市にある。
- 私の妻は美人だ。
- お前はダメなやつだ。
- 大阪は危険な街だ。
- 大阪はひったくりが多い。
- 大阪市はひったくりの件数が日本一だ。
- 田中氏は激怒した。
- 田中氏は報道陣に怒りをぶつけた。
- 田中氏はげんこつでテーブルを叩きつけた。
1.は何の疑問もなく○を付けるでしょう。でも2.はちょっと迷うかもしれませんね。
事実の記述には、真の事実と偽の事実があるのに注意してください。諏訪山大学という大学があるのかないのか、あるとしたらそれが神戸市にあるのかどうか、それは調べてみないとわかりません。そんな大学はないかもしれませんし、あっても神戸市にはないかもしれません。それでもこれは、事実を表す文です。「事実」は「真実」とは限らないのです。想像してみてください。1.もまた、○○学校を知らない人にとっては、私たちにとっての諏訪山大学と同じですね(残念なことですが)。
私たちには、この世のすべての「事実」を表す文が「真実」を書いているかどうかを確かめる時間がありません。ふだんは事実を表した文は嘘を書いていないという信頼の上で読んでいます。しかし悪意を持って「真実」でない「事実」を表す文を書く人だっています。悪意はなくても人は間違うことがありますし、書いたときは「真実」だと思っていたことが後にそうでないとわかることもあります。文に表れた事実と真実を区別しないのは、あまりにもナイーブでセンセイはちょっと心配です。
5~7、8~10については数字が大きくなるほど誠実な書き方になっています。私は大阪出身ですが、5のようなことを言う人が多くて嫌になります。「危険な街」がどんな街かは人によってとらえ方が違います。私にとって大阪は危険な街ではありません。夜遅く駅から家までふつうに帰ってこれるのに!
事実とそうでない部分の区別は、自分が書く場合だけでなく、情報を受け取る場合、つまり読んだり聞いたりする場合にも習慣づけましょう。
たとえばインターネット上には、(残念なことに)いい加減な文章が溢れています。プリントアウトして、問題2でしたように、事実とそうでない部分の区別をしてみましょう。(これを教材にしてもよいです。ここにupするのは控えますが……)
誠実な書き手なら、推測や自分の意見はきちんと区別して書いているはずです。逆に言えば、とうてい事実とは言えないことを根拠もなく断言しているような書き手の情報は、信頼しない方がいいでしょう。
こういう姿勢は、インターネットのリテラシーとしてぜひ身に付けたいものです。